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タンクで茹で死ぬ

2020年宇宙の旅

 

この季節になるとツイッターの大好きな方が#ぽっぽアドベントというものを開催する。今年のテーマは「変わった/変わらなかったこと」で、いろいろな人たちが今年の自分の話をしています。(よかったらこちらhttps://twitter.com/810ibara/status/1333425668848115716?s=20からどうぞ。最高です。) 私はこれとなんの関係もないけれど、もうすぐ終わる2020年を同じテーマで振り返ってみようと思います。(好きなので)(問題あったら教えてください ひ〜〜!)

 

2020年、変わったことが何かあるとしたら、洋楽というかオアシスを聴き始めたことだ。もうこれしかない。

今年の5月まではいわゆる邦ロックというやつを聞いていた。最初に出会ったバンド ASIAN KUNG-FU GENERATIONが今でも最愛のバンドで、チャットモンチーを姉と呼び、ゆらゆら帝国に人生を学んだ。去年、この界隈にいながら聞かないでいたミッシェルガンエレファントに今更ドハマりするという、驚くべき不敬をかましてからは、チバユウスケに縋ってなんとか生き伸びる毎日を送っていた。

洋楽って、なんかドラムの音が得意じゃなかったのだ。バスドラがメタメタ言うしシンバルが軽くてハイトーンすぎるという感覚的すぎる理由で。全部が全部そうではないんだけど。とはいえ私は洋画沼に在籍しているので、全く洋楽を聞かない訳でもない。むしろ好きな曲が沢山ある。

大好きなクリスマスムービー(?)FILTHで流れるレディオヘッドのcreepで情緒をめちゃくちゃにしたり、キル・ユア・ダーリンのEDで流れるDon't look back into the sunでザ・リバティーンズにどハマりした。ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーを見た直後にあの有名なサントラを購入してウガチャカしたり、映画で流れた好きな曲プレイリストを作っていたりする。高校時代は顧問のビートルズのベスト盤をパクって帰り、速攻でウォークマンに入れて次の日の朝練時に何食わぬ顔で棚に戻したりした。ここまで書いて思い出したけど、受験期はgleeというアメリカの高校の合唱部の子達の洋ドラを見て、Queenとツェッぺリンを聞いて鬱憤を晴らしていたんだった。前に局所的に流行った#30DaysSongChallengeで挙げたのは半分が洋楽だった。

一つのバンドの楽曲を隅から隅まで聞いて歌詞カードを読み込むのが私のはまり方だったから、大好きな一曲を集めるような聞き方は私の推し方じゃない。のめり込んで、人生の季節を丸ごと捧げるようなバンドはなかった。だから別に、私は「洋楽好き」ではなかったのだ。

 

けれど、それは突然、前触れもなくやってきた。

オアシスである。

ロックンロールの歴史に燦然と輝くあのOASISです。私はオアシスにはまった。そして、ギャラガー兄弟という災厄みたいな存在に心を照らされ、焼かれて、元の場所には帰れなくなった。運命ってあるんだな…とかクソダサいことを真面目に思った。だってもう、運命としか言いようがない。たまに、天啓のような小説や映画に出会う。目の前が開けるような創作物と出会う瞬間をオタクなら一度は経験したことがあるでしょう。私にとってオアシスはそれだった。どうやって生きていればいいか分からなくて、生きるべきか死ぬべきか、と本気で悩んでいた時にマスタープランを聞いた。

 

Please brother, let it be
Life on the other hand won't make you understand
We're all part of a masterplan

成り行きに身を任せろよ 未来なんて知りようがないんだ それは神のみぞ知ることなんだよ

こんなことを言ってくれる音楽を他に知らない。一つくらいあったかもしれないけど、思い出せないってことは、それはこの曲ほど私の心に響かなかったってことだろう。と思ったところでそれこそビートルズのレットイットビーがあることを思い出した。失礼しました。

オアシスは、というか、ノエルの書く詩は、私の心の中にある荒れてぐちゃぐちゃで鍵がかかっているから誰も入ってこれないはずのドアを開けて、一番好きな友達みたいにするっと入ってきた。90年代のマンチェスターの陽の当たらない裏路地が、2020年の私の裏路地と繋がってしまった。これはものすごいことだった。酒と煙草とドラッグをやって、ギャンギャンギターを弾いて賞賛に飢えて「でも俺らって最高だよなー」と言いあっていた25年前のマンチェスターのヤンキーのにいちゃんたちが、25年後の今この瞬間に「そういう感じの気持ちわかるわ~」と言って、この世の全てに対して壁を作りまくっていた私の隣に座ってしまったのだ。

それからはもう一瞬だった。なんとなく聞いていたlive foreverやwhateverをきちんと聞いて「こんな良い歌あるか?」と号泣し、流れるように1、2枚目のアルバムを購入。ついでにバンTも購入し、残り全てのアルバムをダウンロードし、SpotifyにあるB面集を狂ったように聴き始めた。

 

We're all part of a masterplan.

そう。本当にそう。本当にそうなのだ。どうなるかなんてわかりっこないのだ。私は神様の計画の一部なんだから。

私はキリスト教の幼稚園にぶち込まれたキッズだったので、大人になった今でも神様というやつを刷り込み的に信じている。決して敬虔な信者じゃないけれど、神様は多分間違いなくいるんだと思っていた。でも、去年親友が死んでからはすっかり無神論者だ。死んだ彼が安らかに酒でも飲んで楽器を吹いていてほしいことと、彼が来世(そんなもん本当にあんのか?あるんなら私も今すぐそこに行かせろ)で幸せになって欲しいという願いを叶えてもらうために「信じてま〜す」とぬるい笑みを向けているけど、心の中は何が神だボケがよ…てめーなんも助けてくれなかった癖に……という気持ちでいっぱいだ。

神様は人を救わない。一生懸命祈っても、大事なことのたった一つだって叶えてくれない。でもそんなの当然だ。神様なんて、辛く苦しく理不尽な現実に納得するために人間が苦し紛れで生み出した理由、装置なんだから。神様なんて信じてないけど「神様」には私を苦しめる権利がある。な〜〜〜〜〜にが神じゃ!!バーカ!!死ね!!と思ってたところに、ノエル・ギャラガーが作ったマスタープランのあの詩ですよ。見た目もやることも完全にやばい不良のにいちゃんなのに、なんかめちゃくちゃ柔らかいところも、虚勢に見えるけど実際はマジの自信も、当然送られるにふさわしいはずなのにまだ未配達になっている賞賛を早く寄越せ!と欲する気持ちも、全部むき出しにしてぶん殴ってくるこの人は一体なんなんだ?と思った。

 

オアシスの曲では苛烈な自己肯定が歌われる。「世界の全てが理解せずとも俺は俺だし、俺は最高だし、俺は認められるに値する存在だ」という強い思いがどんな曲にも通奏低音、というか言葉にして歌われる。ここまで強く自分を肯定するのって、逆に自信が全くないからなんじゃない?負の感情の裏返しなんじゃない?と思うくらいバキバキに「俺は俺を生きていていいし俺は最高の存在だ」と主張する。何か途方もなくでかい諦めを経験してないと、深く深く傷つけられていないと、途方も無いほど自尊心をへし折られていないと、ここまでの苛烈さにはならないと思った。

曲を聞きながらwikiやらネット上のいろんな記事やら色々を漁るうちに、なんかものすごく大変な幼少期をおくっていることがわかった。だからどうって言う気はないけれど、その経験がこの人の心の中に、「荒れてぐちゃぐちゃで鍵がかかっているから誰も入ってこれない部屋」を作り出したんだろうなと思った。この人はその部屋の中で「だけど俺にだって幸せになる権利がある」と主張し続けてたんだなあと思った。

私はノエルのことを兄と読んでいるのでここでも兄と呼びますが、兄は何かのインタビューで「俺は誰もしたことのないような経験をした」と言っていた。「誰にだって幸せになる権利がある」とも言っていた。こう思えるのってすごいことだ。自分の命とか生の価値がめちゃくちゃにされた時に、それでも幸せになることを選ぶのはものすごく難しい。私ならもう秒でこの世から飛ぶ方を選ぶ。それなのに兄はMaybe I just wanna fly. Wanna live I don't wanna die. Maybe I just wanna breath.とかいう歌詞を書く。なんなんだ?この人はまじでなんなんだ???

あと口が悪すぎる。素行も悪い。弟と殴り合う。あとすぐにどっかにいなくなる。しかも、そんなんなのに兄の書く詩にはマチズモの匂いがない。何故…………ちなみに歌詞はラリってる時に書いているから意味なんて無いし覚えてもいないらしい。その状態で自己肯定の塊を産むって、ちょっと意味がわからなくない?どれほど強く願っているんだ?

昔、私の好きな映画批評ラジオでデッドプールというアメコミ映画の批評をしていた。その際、デッドプールの荒唐無稽で止まらない軽口を「絶望に覆われない為の切実な生きる術であり、つらい現実を笑いのめす為である」と解説していた。不良のあり方とはそういうものである。

この世を生き抜くことって、感情が理路整然とした道を辿るのでは無いんだろうなあと思った。嘘と本当と本音と、それがごちゃごちゃに混ざっている中にだけ本当のことがあって、オアシスを聞いた私は兄のそれを見てしまったんだなあみたいなヤバい狂った気持ちになった。私の頭には『理解』の二文字が浮かんだ。オタクはすぐ、しかも勝手に『理解』する。この『理解』をした瞬間、私は兄に落ちていた。

 

兄がいるんだから当然弟がいる。こっちだって語らなきゃいけない。言わずと知れたリアム・ギャラガーである。オアシスを知って最初に目を奪われたのはリアムだ。普通のジャージにチェックのジャケットを着て、薄い色のついたサングラスをして煙草を吸って、酒を片手にステージのど真ん中で突っ立って観客を見下ろしている。それだけなのに、これまでの世界がぶち壊れるほど、もう死ぬほどかっこよかった。

 

 

この通りです。神はいないって言った口でりあむをキリストと呼んでいます。

 

兄が作った歌を弟が歌う。兄が作った自己肯定の塊みたいな凄まじくいい曲を、奇跡みたいな声をしている弟が歌う。なんならちょっと諦めに満ちすぎている歌でも、リアムが歌うとその瞬間に希望の歌に聞こえる。すごくない?この人なんなんだ???彼らは私を、世界を征服してしまった。もうダメだった。オアシスめちゃ好き、、、、てかギャラガー兄弟大好き、、、、リアムの不思議な斜視を見るたびにあー好き……あーダメだ好き…と呟いた。「自分で自分を信じなきゃ誰が自分を信じるんだよ」みたいなことも言っていた。兄弟なんだなあとしみじみ思った。好き……

ていうか、兄が作った歌を弟が歌う、ってのがやばかった。知れば知るほどリアムがお兄ちゃんっ子なのもやばかった。私は兄弟とか双子にびっくりするほど弱いので、バンドの曲だけじゃなくて兄弟が好きになった頃にはもう気が狂っていた。なんかもう、オタクの私にギャラガー兄弟は、致死率100%の猛毒のようにそれはもう効いた。さて、ここでさっき引用したマスタープランの歌詞を思い出してください。

Please brother let it be

兄がそんな意味を込めていないであろうことくらいわかってんだけど、brotherって、 brotherって、リアムのことじゃん〜〜!て思わずにいられないのだ。前後の歌詞もなんかちょっとソレっぽい感じだし、しかもこの部分は兄が歌っているのだ。これはそういう意味のbrotherじゃないことくらいわかるけど、わかるんだけどさ〜〜〜〜〜〜!!!

 

だけどこの兄弟は世界で一番仲の悪い兄弟なので、10年前に二人のケンカでバンドは解散し、今に至るまで口を聞いてない。残念。ハマったのが遅すぎたね。そう思っていたら弟はTwitterをやっていて、しょっちゅう兄のアカウントに食ってかかるし、誕生日は愛を込めて祝うし、自分のソロの楽曲では兄のことを歌うし、「たった一人の観客=兄のことを考えながらライブをしてる」「本当は寂しいのよ。兄弟だから」とか言われている。兄は兄でテレビとかラジオでニコニコしながら在りし日の弟(ここが結構ポイントだ。昔の弟の話ばっかりするの、なんでなんですか?昔は可愛かったのか?)の話をする。ど、どこが解散したバンドだ。解散したのにこんなに福利厚生がしっかりしているバンド、他に知らないよ……

 

兄が昔の弟みたいにタンバリンを戴いている写真を見たら耐えられなくなっちゃった。それで新しいアカウントができた。ROM専だったサイトに"なにか"を投稿するようになった。オアシスの周りのバンドを聞くようになった。blur大好きです。スミスとかザ・フーとか、名前だけ知ってて聞いてなかったバンドをたくさん聞くようになった。あと今リナサワヤマめっちゃ好きなんで、超いいんで、みんな聞いてください。それで今に至る。

あと私がミーハーなオタクだったせいで、そしてリアムがあまりにもかっこ良かったせいで、服装も変わった。私のすべてのTシャツのサイズがワンサイズ以上大きくなって、フレッドペリーのポロシャツを買い(これはBlurとかりばちんずの影響が大きいけど)、太いパンツをはくようになった。世の流行が90年代リバイバルで本当に良かった。ブリットポップファッションめちゃめちゃ可愛い。服装が中学生だった頃のオアシス、本当に好きです。あと極め付けに、りあむっぽい黄色いサングラスを作ってしまった。私は最強。

 

そんな感じで、2020年の私は激動の一年を過ごした。

変わらなかったことといえば、相変わらず精神がめちゃくちゃで、感情のない機械になれと言われ低賃金で肉体労働をしこき使われており、根暗なところだ。でも私はオアシスが大好きな根暗だ。最高で最強の根暗に決まっている。だいたい兄をみてください。兄だってあれは根暗の部類ですよ。(そこがすき〜〜!)それに、親友のことは世界で一番愛しているままだし、今まで好きだった音楽もずっと宝物のままだ。

 

そんな感じで私の2020年は終わる。今は辛いだけかもしれなくて、すぐto be or not to be......になってしまうけれど、それは今呼吸ができないから。息ができるようになりて〜〜と思えるようになりたい。永遠に生き続けたいとか思ってみたいよなあ!つまり私は兄が大好きなので、兄みたいになりたいということだ。兄みたいになりたいってめちゃくちゃ恥ずかしいな……

兄弟はその生き方とか姿勢とか、存在の確かさゆえに、ものすごく美しいと思う。そんな風になりたいってこと。私はまだ宇宙飛行士になりたいと思ってしまうんだけど、それは恥ずかしいことじゃないなって思うようになった。地に足をつけながら遠くに逃げて、地に足をつけながら見果てぬ夢を見て、美しく自由な世界への憧れを遠い遠い海岸線に投げかけたい。

 

チバユウスケがやっているバンド、the birthdayのBuddyという曲が好きなので、歌詞を引用して終わります。

 

変わらないでいるために変わる 当たり前じゃんかそんな事
お前にライトの輪がとんでいって
天使みたいに見えるぜ気のせいか

ロックンロールに溺れようぜ 朝から晩まで寝てる時でさえ
お前に涙は似合わないなんて言わないけど
下手クソな口笛を吹いてくれよ