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タンクで茹で死ぬ

ねえルーシー 空に花はないみたいだね もっと上ならあるのかな

 

タイトルは旅行の間つけていた日記に書いてあった言葉です。飛行機に乗っているとき窓の外を見ながら書きました。ミッシェルを聞いてたので。

 OASISとわたし、みたいな、他人の人生の話を読んでも大丈夫な人だけ読んでください

 

 

 

 

 

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2022年6月3日、私はリアム・ギャラガーのライブを見ていた。イギリスの、ネブワースという、なんか城("城"?意味わからん)の庭で、8万人の観客の中の一人として!やったーーーーー!!!嬉しい!!!!!!
周りの友達や、職場で私の連休の本当の理由(適当に嘘ついて5連休をもぎとりました)を知る数少ない人達から「どうでしたか?」と聞かれるたびに、私は「バカみたいなこと言うけど……夢みたいだった!」と満面の笑みで答えた。だって仕方ない。ほんとに夢みたいだったのだ。
YouTubeで何回も見た過去のライブの映像と同じように、あの態度であの歩き方で、あの歌い方であの顔で(!)、あのリアム・ギャラガーが歌うのだ。知ってる声で、知ってる歌を、まじのリアム・ギャラガーが歌うのだ。あの場所でリアムを初めて見た人はきっと、「すげえ!リアムって実在してるらしい!!!!」て、少なくとも1回くらいは思ったに違いない。そうして後で「ほんとうのことだったのか……?」て思いながらカメラロールを見返すのだ。

大学の卒業旅行で友達がハマっていたヴィジュアル系のバンドのライブを見に横浜のどっかの小さいライブハウスに行った経験しかない私には、あんなに広くてなんかふつうに外のところに、あんなにたくさんの人達が集まってYouTubeで見たみたいにさまいせ〜て大声で歌ってることが、その中に自分もいることが、夢みたいだった。
初めてライブに行ったようなもんのほよほよの赤ちゃんなのに、海外の背の高い何喋ってるかもようわからん奴らのモッシュに巻き込まれて腕折れる泣もう嫌だ泣早く終われ泣て思ったことが、なんかもう、笑っちゃうくらい現実感がないのだ。
幸運なことに前から2列目らへんを陣取ることができたんだけど、これまで生きてきて見たことのない数並んでるアンプなのかスピーカーなのかよう分からんがから繰り出される経験したことのないレベルの低音のズンズンに吹っ飛ばされるかと思ったことが、なんかそれが「すげえ『まじ』だ……」て感じだったのだ。
リアムがステージに出てくるなりI am he as You are he as You are me and we are all together!みたいなことを言ってて、セイウチだ!!!!になった瞬間以外は訛りすぎててまじで一ミリも何言ってるかわかんなかったのも、リアムってまじで訛ってるんだ!動画で見るのと同じじゃん!て感じで、ほんとにこれは現実か?てなった。

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最高だった。最高で最強で、わたしの、わたしたちのロックンロールスターは世界で一番かっこよかった。これはギャラガー兄弟に共通していることだと思うけど、生きる姿勢の苛烈さ・正直さというのはこんなにも人を美しくするのかと思って、なんかもうすごいすごくて、超かっこよかった。私はリアムのことを超絶かっこいいうちらの憧れであるとともに末っ子根性丸出しの問題児だとも思っている節がどうしてもあるんだけど、リアム・ギャラガーさんはプロだった。正真正銘かっこいい大人だった。彼が「今夜俺はロックンロールスターだ」と数人の観客を前に歌い出した瞬間から今までずっと「ロックンロール・スター」であり続けてくれているんだと思ったら、なんつう誠実な男だよ……泣と思って、社会人をして5だか6年だかそのくらいの時間が経っているにも関わらずへらへらふらふらしている私などは彼の真面目さを尊敬してしまいました。(そうかあ〜??????て、過去のリアムの言動を思い出して心の底から思うは思うんだけど、会場ではあちこちでマリファナみたいなんを吸ってる奴らがいたので、私がハイになっていたのだとしても仕方がありません。マリファナ副流煙みたいなもんがあるのかは知らんし、どうでもいい)

リアムがマイクの前でマラカスをシャカシャカするのが聞こえたときにたまらん気持ちになった。なんかまじで、「うわっ……リアムがマラカスシャカシャカしてる…………」て思ったら世界の時間の流れが遅くなった。多分あれは福音とかそういうものとして捉えていたし、後からその動画を見て「この世界の王様になってほしい……」とか思った。
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ここから先は自分語りなので読まなくていいです。


後になって思えば、これは私にとって27歳の人生をかけた「ひとりでできるもん!」だったのだ。
オアシスを知ったのはたぶん大体2年と少し前くらいである。このころの私は親友の自殺に対する自責の念、鬱病のおつらみ、そこに仕事が全然うまくいかないなあみたいなやつが加わって、それはそれはTo be or not to beをこじらせていた。「35年の俺の人生はまるで弾切れの銃だ」と言うセリフが好きな映画にあるのだが、まさにそこに向かっているだけだった。

私には大好きな親友がいた。(今なら、「いた」と過去形を使うことだってできる。これはかなりすごいことだ)こいつだったら目に入れても痛いだろうけど別にいいかもしれない、、、と本気で思う程度には甘やかしていたし、ムカついてもいたし、こいつ絶対天才だよなーて思っていて、実はこっそり憧れていて、面白くてセンスがばか程よくて頭が良くて変で、友達でいるのを自慢に思っちゃうようなやつだった。
「お前の中に雨が降るなら私は傘を閉じて濡れていけるから(※恋は桃色より引用)」というド級の謎文句を言って、あいつがそれに満足してたぶん生きる拠り所みたいなものにしていたくらい、私たちは友達という肩書きのまま人間関係のよくわからない深くて重い沼の中にいた。本当に、大切で大好きだっただけなのだ。悲しくて辛くて足が止まってもう無理だと泣くのなら、隣でタバコとか吸って、馬鹿話をして笑わせて一緒に立ち止まっていたいだけだった。でも最後は喧嘩別れだった。人間関係ていうか、愛と憎しみというものは複雑なのだ。ギャラガーを見ている人ならそれをわかってくれるでしょう。たぶん絶対、8割くらいの確率で、私を理由にしてあいつは死んだ。あいつの死因の8割は、あいつがわたしと毒みたいな数年を過ごしたことが原因なのだ。悲しいけど。

オアシスを知ったのはそのころだった。グチャグチャのベチャベチャで、正気を守る為に風邪薬を大量に飲み正気を失って出勤していたころ、「このwonderwallというのは聞くところによるとヤク中でなんかどうしようもないオアシスというバンドのやつらの曲で、作ったのはノエル・ギャラガーで、歌ってるのがリアム・ギャラガーという人らしい」になった。和訳を読みながら一曲全部聞いてみた。ふーん、普通だな。じゃ他のも聞くか。から先は早かった。

オアシスに出会った一年後には「自分を傷つける必要はないのかもしれないね(と、思えればいいのにね…なんて思うことはどうせ無理だが、ギャラガーみたいに人生をやりたいと夢みるだけならタダじゃんね)」なんて思っていたのだ。そこに降って湧いたネブワース'96、立て続けにお知らせされるリアムのネブワース'22。私はおかしくなった。どうしてもこれに行きたくて躍起になった。リアムを見に行くことは私にとっての実弾だった。オアシスを聞いて私は大丈夫になった。ネブワースに行くことはその証明になる。ネブワースにいけたら私は私を信じられると思ったのだ。

どうせもう死ぬからいいか。で、かつて人生の全てを停滞させた私にとって自分で0から始めるというのはとても大きい意味のあることだった。
親友に向かって、お前が行きたいところに私も来いって言えよ、どうせ来るってわかってんだからせめていえよと怒り散らした私には、あいつの知らないところに一人で行くことにとても大きい意味があった。
残りの人生は罪滅ぼしのために辛くてやりたくなくて嫌なことだけやっていこう、法が私を裁かないなら、自分で自分を罰さなくてどうするんですか?と思ってた私にとってやりたいことをやるためにやりたくないことをやって生きるという選択は、とても大きな意味を持つことだった。

それで私は一人でイギリスに行って、ちゃんと生きて帰って来た。もちろん、フォロワーさんをはじめとして、住んでる国を問わず私を助けてくれたたくさんの人のおかげで無事に帰ってこれたわけだから本当に本当に本当にどうもありがとうございましたなんだけど、私はこのことが本当に、なんかもうめちゃくちゃ嬉しくて「えへへ✌️」て感じなのだ。

私はノエルギャラガーのことを兄て呼んでるから兄て書くんだけど、私は兄の書いた歌を聞いて「私にも価値があると思っていいのかも」「私だってなにかをやったり望んだりしてもいいのかも」と思えるようになって、りあむちゃんの歌を聴く為にイギリスまで追っかけて行くことで「私は何でもできたんだな」ていう、この先ずっと、少なくとも15年くらいは大丈夫でいられそうな気持ちになった。私はこれがめちゃくちゃ嬉しいのだ。

前に書いたブログで私はこういううんこほど恥ずかしいポエムを読んでいる。
「地に足をつけながら遠くに逃げて、地に足をつけながら見果てぬ夢を見て、美しく自由な世界への憧れを遠い遠い海岸線に投げかけたい」
これはつまり兄みたいになりたいなあということを私はゆっているのですけれど、私は少しだけそういう人になれてきているような気がした。好きな仕事に転職してふらふらしている。ちゃんと自分で自分を管理して不安にならないようにしている。仕事はだるいけど責任を持ってちゃんとやっている。けどそれはそれとして、サボるのもめちゃくちゃ上手になった。ライブのために長い休みだって取れちゃう。あとこれはどうでもいいことなんだけど、なんかわかんないけど、去年の写真と比べて顔が怖くなっていて「うれし♡」になった。最近のマフィアみたいなNGさんのこと、すごい好きだから……

彼らの音楽を聞いて、「うるせーーーーーーー!!!あたしはやりたいようにやる!!!!!暗闇の荒野に進むべき道を切り開く!あたしには『覚悟』がある!!!!」になって、例えば本当に仕事をやめた。(この仕事を辞めた時に作った『てか別にあたしの人生にあんたの合格印とかいらねんだけど』という短歌がお気に入りだ)アパートを借りて引っ越した。イギリスに行ってリアムを見た。なんでそんなにするの?と言われても「えへへ……リアム、見たいから……」というそれだけが私の理由で、理由がそれだけということがめちゃくちゃ嬉しかった。

これって全部、彼らの音楽を聞き続けることで心に「何に自分を踏みにじられてもその瓦礫の山の上に涼しい顔して立てますけど?」みたいな気持ちが溜まらなかったらできなかったことだなあて思うのだ。はあめちゃくちゃかっこいい。憧れてしまう。別に、40万のジャケットを普段使いしたいとか、乗らないロールスロイスを家のガレージに置きたいとか、アホみたいな値段の家を建てたいとか、スタジアムを観客で一杯にしたいとかではないけど、なんか生き様のかっこよさとかっこ悪さに憧れちゃうのだ。実家に私を置いといてくれた家族や時折声をかけてくれた友達、希死念慮を垂れ流す私をそのままにしていてくれたフォロワーなどたくさんの人が私を助けて見守っていてくれたけど、私は酷い薄情者なので、私の心にいつも必要なものを必要な分だけ与えてそばにいてくれたのは音楽だったと思ってしまった。

やっていくよすがにしていた私に突き放されて死んでしまった親友のことを考えない日はないし、うっかり泣く日もあるし、忘れるなんて許されないと思っていて、だけどそういう義務みたいなものより忘れたくない気持ちが強いけど、お前のことを考えているこの気持ちのままでもう私はなんでもできるようになってしまった。そういうことなんだよ。もしいつか会えたら「こんなことは絶対やめてくれって泣いて頼んだのに!!お前が私を捨てたんだろ!!!!」てX-menもびっくりみたいなことを口走って首を絞めてしまうかもしれないけど、会ってみないとわからない。わたしはあいつに酷い事をしたけど、あいつは私に日常的に一生許さなくてもいい級の酷い事をしていた。今だってしている。だからなんか、ビートルズが歌う通り、And in the end The love you take Is equal to the love you makeなんだよな〜て思った。それなのに私はもう一度会った時には、もしかしたらハグしてもう一生こいつを離したくない!て思うかもしれない。あいつの気持ちなんて1mmも考えてないからこういうことが言えるわけ。こういうところが良くないんだろうな。とはいえ死後の世界を信じていないので、謎の気持ちでここの段落を書きました。なんでもいいしどうでもいいけど、もしそれがあるのならコメディ映画みたいな風味であればいいなて思った。

私はギャラガーが突き立てたもちもちの人差し指と中指を灯台にして、この途方もなく広い海を航海していく。この数年を振り返ってみると、いつの間にかそうすることに決めてしまっていたのだ。こんなに楽しくて面白くて夢みてるみたいでバカなことがあるかよて今は心の底から思っていて、私はこれがどうしても、死ぬほどではなくlive foreverしちゃいそうになるほど嬉しいのだ。