タール9mgニコチン1.0mg

タンクで茹で死ぬ

だってマックで漢文やりながら黄色が好きって言ってたじゃん(はっぴーばーすでー)


友達の誕生日によせた短歌です。
思えばこの4年私は人間のかたちをした濁流とかになっていたんだけど、このたび濁流に自我がうまれて、4年も濁流として色んなものをやり過ごしてしまったことに気づいて愕然としました。濁流から停滞して濁った水になってました。

故人の誕生日祝うのとかもうやめよう 普通にしていこう それが普通だし とか思ったんだけど、祝わないよう気をつけることが余計に不在を感じる原因になってここ1.5ヶ月くらい心めちゃくちゃでした。濁流をしているとこうやってものすごい速さと力で月日が流れて過ぎ去っていきます。

誕生日おめでとう。4年経っても誕生日おめでとうの続きをなんて言ったらいいかわかんない。きっと来年も言葉がないんだろうな。ブエノスアイレスレスリー・チャンみたいなどうしようもねえのにかわいいやつだよね て思って、美化えぐくて笑うしかなかった。いや嘘 あの映画見てる最中もどういうつもりでこれ勧めたの?ておもうくらいそっくりだなとおもってました。






だって黄色が好きって言ってたじゃん(はっぴーばーすでー)


遠い日にきみも見ていたかもしれない雪や失意を撫でる かわいい

大切にしたかったのに粉砂糖おゆに溶かして冷える束の間の

思い出とゲロを流せば浄水場きみらにどんなか教えてあげれる

言葉にはできないきみをひとかけら分けてもいいと思われたくて

絞殺のシミュレーション中かわいさで手元が狂い抱きしめるバグ

忘れたと気がつく度に花びらを降らせてあげる すてきな復讐

もう呼ばない名前に家を建て暮らすファイト・クラブの掟のように

勇敢なヴァニラアイスを2個くださいリボンはきいろでお願いします

あいさつもそこそこに

「ねえルーシー空に花はないみたいだねもっと上ならあるのかな」という記事を少し前に書きましたが、これは「あるのかな?」て尋ねたい友達についての短歌です。悲しいのとか痛いのとかよりさみしいのを我慢するのが一番つらくて難しいね。



あいさつもそこそこに/湿気


辻褄を合わせられない夜が明けて空はうすむらさきのあじさゐ

電気消し潜るバスタブこのおゆはいつかどこかで海だったもの


彗星の尾がふりまいた星くずで失明するのと似ている五月

太陽がぎらぎら昇る地獄にて我がhopeきみにご覧入れよう

望み通りきみは音符になったらしい音楽をやればやるほどさびしい

今日あった全部のことを教えたいこれが負けならそうなんだろう

凹凸を無理に馴染ませ我々がヘミオラだった鬱くしき日々

エントロピー増大してるゆくゆくは全部元通りになるらしい

どこにでもいるとどこにもいないの∩のところにずっと置いてある椅子

「これじゃまるでバラ色の日々台無しにするならちゃんと」の続きわかるね

きみを泣かせた砂糖菓子ピストルにこめてわたしの実弾とする

透明な軌道を進むから涙止めずにひねるお風呂の蛇口

5years!まあ歌うでしょ来年は地球に落ちてくるとかはどう

えー、ごほん。本日はお日柄もよく、輩のバイクも静かに走り、

 

燃ゆる女の肖像をみました。心がめちゃくちゃです。後悔するより思い出してほしいとか眠ってほしくない(もしくは眠ってほしい)て、自分の人生を振り返ると覚えのある気持ちで、めちゃくちゃ大好きだったことが証明されちゃった気持ちになったのも心めちゃくちゃの原因の一つである。鳴ってる海は叫べない寂しさと怒りと諦めと愛を飲み込んでいる。言葉にさせてもらえない言葉たち。抑圧のせいかもしれないし、言葉にする無意味さに口を閉ざしてしまったからかもしれないし、抵抗の手段かもしれないし、全部を覚えておく手段かもしれない。そうであったらいいなておもった。一生苦しむとしても消えない炎がある人生でずっといたい。わたしの消えない炎と言い切れる人がいてよかった。本の表紙を撫でて、それでも人生をやっていきたい。逃げられなくても逃げながらここに存在していたい。他人から見れば子供用の狭いプールに浮いてるのと何も変わらなくても、それを本物の海だと私は言うから、本物の海を知っているなりの生き方がしたい。いつかそれが本棚のどれかの本の28ページに隠されていてほしい。誰からも読まれないのだとしても、誰からも読まれないからこそ。

ねえルーシー 空に花はないみたいだね もっと上ならあるのかな

 

タイトルは旅行の間つけていた日記に書いてあった言葉です。飛行機に乗っているとき窓の外を見ながら書きました。ミッシェルを聞いてたので。

 OASISとわたし、みたいな、他人の人生の話を読んでも大丈夫な人だけ読んでください

 

 

 

 

 

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2022年6月3日、私はリアム・ギャラガーのライブを見ていた。イギリスの、ネブワースという、なんか城("城"?意味わからん)の庭で、8万人の観客の中の一人として!やったーーーーー!!!嬉しい!!!!!!
周りの友達や、職場で私の連休の本当の理由(適当に嘘ついて5連休をもぎとりました)を知る数少ない人達から「どうでしたか?」と聞かれるたびに、私は「バカみたいなこと言うけど……夢みたいだった!」と満面の笑みで答えた。だって仕方ない。ほんとに夢みたいだったのだ。
YouTubeで何回も見た過去のライブの映像と同じように、あの態度であの歩き方で、あの歌い方であの顔で(!)、あのリアム・ギャラガーが歌うのだ。知ってる声で、知ってる歌を、まじのリアム・ギャラガーが歌うのだ。あの場所でリアムを初めて見た人はきっと、「すげえ!リアムって実在してるらしい!!!!」て、少なくとも1回くらいは思ったに違いない。そうして後で「ほんとうのことだったのか……?」て思いながらカメラロールを見返すのだ。

大学の卒業旅行で友達がハマっていたヴィジュアル系のバンドのライブを見に横浜のどっかの小さいライブハウスに行った経験しかない私には、あんなに広くてなんかふつうに外のところに、あんなにたくさんの人達が集まってYouTubeで見たみたいにさまいせ〜て大声で歌ってることが、その中に自分もいることが、夢みたいだった。
初めてライブに行ったようなもんのほよほよの赤ちゃんなのに、海外の背の高い何喋ってるかもようわからん奴らのモッシュに巻き込まれて腕折れる泣もう嫌だ泣早く終われ泣て思ったことが、なんかもう、笑っちゃうくらい現実感がないのだ。
幸運なことに前から2列目らへんを陣取ることができたんだけど、これまで生きてきて見たことのない数並んでるアンプなのかスピーカーなのかよう分からんがから繰り出される経験したことのないレベルの低音のズンズンに吹っ飛ばされるかと思ったことが、なんかそれが「すげえ『まじ』だ……」て感じだったのだ。
リアムがステージに出てくるなりI am he as You are he as You are me and we are all together!みたいなことを言ってて、セイウチだ!!!!になった瞬間以外は訛りすぎててまじで一ミリも何言ってるかわかんなかったのも、リアムってまじで訛ってるんだ!動画で見るのと同じじゃん!て感じで、ほんとにこれは現実か?てなった。

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最高だった。最高で最強で、わたしの、わたしたちのロックンロールスターは世界で一番かっこよかった。これはギャラガー兄弟に共通していることだと思うけど、生きる姿勢の苛烈さ・正直さというのはこんなにも人を美しくするのかと思って、なんかもうすごいすごくて、超かっこよかった。私はリアムのことを超絶かっこいいうちらの憧れであるとともに末っ子根性丸出しの問題児だとも思っている節がどうしてもあるんだけど、リアム・ギャラガーさんはプロだった。正真正銘かっこいい大人だった。彼が「今夜俺はロックンロールスターだ」と数人の観客を前に歌い出した瞬間から今までずっと「ロックンロール・スター」であり続けてくれているんだと思ったら、なんつう誠実な男だよ……泣と思って、社会人をして5だか6年だかそのくらいの時間が経っているにも関わらずへらへらふらふらしている私などは彼の真面目さを尊敬してしまいました。(そうかあ〜??????て、過去のリアムの言動を思い出して心の底から思うは思うんだけど、会場ではあちこちでマリファナみたいなんを吸ってる奴らがいたので、私がハイになっていたのだとしても仕方がありません。マリファナ副流煙みたいなもんがあるのかは知らんし、どうでもいい)

リアムがマイクの前でマラカスをシャカシャカするのが聞こえたときにたまらん気持ちになった。なんかまじで、「うわっ……リアムがマラカスシャカシャカしてる…………」て思ったら世界の時間の流れが遅くなった。多分あれは福音とかそういうものとして捉えていたし、後からその動画を見て「この世界の王様になってほしい……」とか思った。
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ここから先は自分語りなので読まなくていいです。


後になって思えば、これは私にとって27歳の人生をかけた「ひとりでできるもん!」だったのだ。
オアシスを知ったのはたぶん大体2年と少し前くらいである。このころの私は親友の自殺に対する自責の念、鬱病のおつらみ、そこに仕事が全然うまくいかないなあみたいなやつが加わって、それはそれはTo be or not to beをこじらせていた。「35年の俺の人生はまるで弾切れの銃だ」と言うセリフが好きな映画にあるのだが、まさにそこに向かっているだけだった。

私には大好きな親友がいた。(今なら、「いた」と過去形を使うことだってできる。これはかなりすごいことだ)こいつだったら目に入れても痛いだろうけど別にいいかもしれない、、、と本気で思う程度には甘やかしていたし、ムカついてもいたし、こいつ絶対天才だよなーて思っていて、実はこっそり憧れていて、面白くてセンスがばか程よくて頭が良くて変で、友達でいるのを自慢に思っちゃうようなやつだった。
「お前の中に雨が降るなら私は傘を閉じて濡れていけるから(※恋は桃色より引用)」というド級の謎文句を言って、あいつがそれに満足してたぶん生きる拠り所みたいなものにしていたくらい、私たちは友達という肩書きのまま人間関係のよくわからない深くて重い沼の中にいた。本当に、大切で大好きだっただけなのだ。悲しくて辛くて足が止まってもう無理だと泣くのなら、隣でタバコとか吸って、馬鹿話をして笑わせて一緒に立ち止まっていたいだけだった。でも最後は喧嘩別れだった。人間関係ていうか、愛と憎しみというものは複雑なのだ。ギャラガーを見ている人ならそれをわかってくれるでしょう。たぶん絶対、8割くらいの確率で、私を理由にしてあいつは死んだ。あいつの死因の8割は、あいつがわたしと毒みたいな数年を過ごしたことが原因なのだ。悲しいけど。

オアシスを知ったのはそのころだった。グチャグチャのベチャベチャで、正気を守る為に風邪薬を大量に飲み正気を失って出勤していたころ、「このwonderwallというのは聞くところによるとヤク中でなんかどうしようもないオアシスというバンドのやつらの曲で、作ったのはノエル・ギャラガーで、歌ってるのがリアム・ギャラガーという人らしい」になった。和訳を読みながら一曲全部聞いてみた。ふーん、普通だな。じゃ他のも聞くか。から先は早かった。

オアシスに出会った一年後には「自分を傷つける必要はないのかもしれないね(と、思えればいいのにね…なんて思うことはどうせ無理だが、ギャラガーみたいに人生をやりたいと夢みるだけならタダじゃんね)」なんて思っていたのだ。そこに降って湧いたネブワース'96、立て続けにお知らせされるリアムのネブワース'22。私はおかしくなった。どうしてもこれに行きたくて躍起になった。リアムを見に行くことは私にとっての実弾だった。オアシスを聞いて私は大丈夫になった。ネブワースに行くことはその証明になる。ネブワースにいけたら私は私を信じられると思ったのだ。

どうせもう死ぬからいいか。で、かつて人生の全てを停滞させた私にとって自分で0から始めるというのはとても大きい意味のあることだった。
親友に向かって、お前が行きたいところに私も来いって言えよ、どうせ来るってわかってんだからせめていえよと怒り散らした私には、あいつの知らないところに一人で行くことにとても大きい意味があった。
残りの人生は罪滅ぼしのために辛くてやりたくなくて嫌なことだけやっていこう、法が私を裁かないなら、自分で自分を罰さなくてどうするんですか?と思ってた私にとってやりたいことをやるためにやりたくないことをやって生きるという選択は、とても大きな意味を持つことだった。

それで私は一人でイギリスに行って、ちゃんと生きて帰って来た。もちろん、フォロワーさんをはじめとして、住んでる国を問わず私を助けてくれたたくさんの人のおかげで無事に帰ってこれたわけだから本当に本当に本当にどうもありがとうございましたなんだけど、私はこのことが本当に、なんかもうめちゃくちゃ嬉しくて「えへへ✌️」て感じなのだ。

私はノエルギャラガーのことを兄て呼んでるから兄て書くんだけど、私は兄の書いた歌を聞いて「私にも価値があると思っていいのかも」「私だってなにかをやったり望んだりしてもいいのかも」と思えるようになって、りあむちゃんの歌を聴く為にイギリスまで追っかけて行くことで「私は何でもできたんだな」ていう、この先ずっと、少なくとも15年くらいは大丈夫でいられそうな気持ちになった。私はこれがめちゃくちゃ嬉しいのだ。

前に書いたブログで私はこういううんこほど恥ずかしいポエムを読んでいる。
「地に足をつけながら遠くに逃げて、地に足をつけながら見果てぬ夢を見て、美しく自由な世界への憧れを遠い遠い海岸線に投げかけたい」
これはつまり兄みたいになりたいなあということを私はゆっているのですけれど、私は少しだけそういう人になれてきているような気がした。好きな仕事に転職してふらふらしている。ちゃんと自分で自分を管理して不安にならないようにしている。仕事はだるいけど責任を持ってちゃんとやっている。けどそれはそれとして、サボるのもめちゃくちゃ上手になった。ライブのために長い休みだって取れちゃう。あとこれはどうでもいいことなんだけど、なんかわかんないけど、去年の写真と比べて顔が怖くなっていて「うれし♡」になった。最近のマフィアみたいなNGさんのこと、すごい好きだから……

彼らの音楽を聞いて、「うるせーーーーーーー!!!あたしはやりたいようにやる!!!!!暗闇の荒野に進むべき道を切り開く!あたしには『覚悟』がある!!!!」になって、例えば本当に仕事をやめた。(この仕事を辞めた時に作った『てか別にあたしの人生にあんたの合格印とかいらねんだけど』という短歌がお気に入りだ)アパートを借りて引っ越した。イギリスに行ってリアムを見た。なんでそんなにするの?と言われても「えへへ……リアム、見たいから……」というそれだけが私の理由で、理由がそれだけということがめちゃくちゃ嬉しかった。

これって全部、彼らの音楽を聞き続けることで心に「何に自分を踏みにじられてもその瓦礫の山の上に涼しい顔して立てますけど?」みたいな気持ちが溜まらなかったらできなかったことだなあて思うのだ。はあめちゃくちゃかっこいい。憧れてしまう。別に、40万のジャケットを普段使いしたいとか、乗らないロールスロイスを家のガレージに置きたいとか、アホみたいな値段の家を建てたいとか、スタジアムを観客で一杯にしたいとかではないけど、なんか生き様のかっこよさとかっこ悪さに憧れちゃうのだ。実家に私を置いといてくれた家族や時折声をかけてくれた友達、希死念慮を垂れ流す私をそのままにしていてくれたフォロワーなどたくさんの人が私を助けて見守っていてくれたけど、私は酷い薄情者なので、私の心にいつも必要なものを必要な分だけ与えてそばにいてくれたのは音楽だったと思ってしまった。

やっていくよすがにしていた私に突き放されて死んでしまった親友のことを考えない日はないし、うっかり泣く日もあるし、忘れるなんて許されないと思っていて、だけどそういう義務みたいなものより忘れたくない気持ちが強いけど、お前のことを考えているこの気持ちのままでもう私はなんでもできるようになってしまった。そういうことなんだよ。もしいつか会えたら「こんなことは絶対やめてくれって泣いて頼んだのに!!お前が私を捨てたんだろ!!!!」てX-menもびっくりみたいなことを口走って首を絞めてしまうかもしれないけど、会ってみないとわからない。わたしはあいつに酷い事をしたけど、あいつは私に日常的に一生許さなくてもいい級の酷い事をしていた。今だってしている。だからなんか、ビートルズが歌う通り、And in the end The love you take Is equal to the love you makeなんだよな〜て思った。それなのに私はもう一度会った時には、もしかしたらハグしてもう一生こいつを離したくない!て思うかもしれない。あいつの気持ちなんて1mmも考えてないからこういうことが言えるわけ。こういうところが良くないんだろうな。とはいえ死後の世界を信じていないので、謎の気持ちでここの段落を書きました。なんでもいいしどうでもいいけど、もしそれがあるのならコメディ映画みたいな風味であればいいなて思った。

私はギャラガーが突き立てたもちもちの人差し指と中指を灯台にして、この途方もなく広い海を航海していく。この数年を振り返ってみると、いつの間にかそうすることに決めてしまっていたのだ。こんなに楽しくて面白くて夢みてるみたいでバカなことがあるかよて今は心の底から思っていて、私はこれがどうしても、死ぬほどではなくlive foreverしちゃいそうになるほど嬉しいのだ。

 

 

 

2020年宇宙の旅

 

この季節になるとツイッターの大好きな方が#ぽっぽアドベントというものを開催する。今年のテーマは「変わった/変わらなかったこと」で、いろいろな人たちが今年の自分の話をしています。(よかったらこちらhttps://twitter.com/810ibara/status/1333425668848115716?s=20からどうぞ。最高です。) 私はこれとなんの関係もないけれど、もうすぐ終わる2020年を同じテーマで振り返ってみようと思います。(好きなので)(問題あったら教えてください ひ〜〜!)

 

2020年、変わったことが何かあるとしたら、洋楽というかオアシスを聴き始めたことだ。もうこれしかない。

今年の5月まではいわゆる邦ロックというやつを聞いていた。最初に出会ったバンド ASIAN KUNG-FU GENERATIONが今でも最愛のバンドで、チャットモンチーを姉と呼び、ゆらゆら帝国に人生を学んだ。去年、この界隈にいながら聞かないでいたミッシェルガンエレファントに今更ドハマりするという、驚くべき不敬をかましてからは、チバユウスケに縋ってなんとか生き伸びる毎日を送っていた。

洋楽って、なんかドラムの音が得意じゃなかったのだ。バスドラがメタメタ言うしシンバルが軽くてハイトーンすぎるという感覚的すぎる理由で。全部が全部そうではないんだけど。とはいえ私は洋画沼に在籍しているので、全く洋楽を聞かない訳でもない。むしろ好きな曲が沢山ある。

大好きなクリスマスムービー(?)FILTHで流れるレディオヘッドのcreepで情緒をめちゃくちゃにしたり、キル・ユア・ダーリンのEDで流れるDon't look back into the sunでザ・リバティーンズにどハマりした。ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーを見た直後にあの有名なサントラを購入してウガチャカしたり、映画で流れた好きな曲プレイリストを作っていたりする。高校時代は顧問のビートルズのベスト盤をパクって帰り、速攻でウォークマンに入れて次の日の朝練時に何食わぬ顔で棚に戻したりした。ここまで書いて思い出したけど、受験期はgleeというアメリカの高校の合唱部の子達の洋ドラを見て、Queenとツェッぺリンを聞いて鬱憤を晴らしていたんだった。前に局所的に流行った#30DaysSongChallengeで挙げたのは半分が洋楽だった。

一つのバンドの楽曲を隅から隅まで聞いて歌詞カードを読み込むのが私のはまり方だったから、大好きな一曲を集めるような聞き方は私の推し方じゃない。のめり込んで、人生の季節を丸ごと捧げるようなバンドはなかった。だから別に、私は「洋楽好き」ではなかったのだ。

 

けれど、それは突然、前触れもなくやってきた。

オアシスである。

ロックンロールの歴史に燦然と輝くあのOASISです。私はオアシスにはまった。そして、ギャラガー兄弟という災厄みたいな存在に心を照らされ、焼かれて、元の場所には帰れなくなった。運命ってあるんだな…とかクソダサいことを真面目に思った。だってもう、運命としか言いようがない。たまに、天啓のような小説や映画に出会う。目の前が開けるような創作物と出会う瞬間をオタクなら一度は経験したことがあるでしょう。私にとってオアシスはそれだった。どうやって生きていればいいか分からなくて、生きるべきか死ぬべきか、と本気で悩んでいた時にマスタープランを聞いた。

 

Please brother, let it be
Life on the other hand won't make you understand
We're all part of a masterplan

成り行きに身を任せろよ 未来なんて知りようがないんだ それは神のみぞ知ることなんだよ

こんなことを言ってくれる音楽を他に知らない。一つくらいあったかもしれないけど、思い出せないってことは、それはこの曲ほど私の心に響かなかったってことだろう。と思ったところでそれこそビートルズのレットイットビーがあることを思い出した。失礼しました。

オアシスは、というか、ノエルの書く詩は、私の心の中にある荒れてぐちゃぐちゃで鍵がかかっているから誰も入ってこれないはずのドアを開けて、一番好きな友達みたいにするっと入ってきた。90年代のマンチェスターの陽の当たらない裏路地が、2020年の私の裏路地と繋がってしまった。これはものすごいことだった。酒と煙草とドラッグをやって、ギャンギャンギターを弾いて賞賛に飢えて「でも俺らって最高だよなー」と言いあっていた25年前のマンチェスターのヤンキーのにいちゃんたちが、25年後の今この瞬間に「そういう感じの気持ちわかるわ~」と言って、この世の全てに対して壁を作りまくっていた私の隣に座ってしまったのだ。

それからはもう一瞬だった。なんとなく聞いていたlive foreverやwhateverをきちんと聞いて「こんな良い歌あるか?」と号泣し、流れるように1、2枚目のアルバムを購入。ついでにバンTも購入し、残り全てのアルバムをダウンロードし、SpotifyにあるB面集を狂ったように聴き始めた。

 

We're all part of a masterplan.

そう。本当にそう。本当にそうなのだ。どうなるかなんてわかりっこないのだ。私は神様の計画の一部なんだから。

私はキリスト教の幼稚園にぶち込まれたキッズだったので、大人になった今でも神様というやつを刷り込み的に信じている。決して敬虔な信者じゃないけれど、神様は多分間違いなくいるんだと思っていた。でも、去年親友が死んでからはすっかり無神論者だ。死んだ彼が安らかに酒でも飲んで楽器を吹いていてほしいことと、彼が来世(そんなもん本当にあんのか?あるんなら私も今すぐそこに行かせろ)で幸せになって欲しいという願いを叶えてもらうために「信じてま〜す」とぬるい笑みを向けているけど、心の中は何が神だボケがよ…てめーなんも助けてくれなかった癖に……という気持ちでいっぱいだ。

神様は人を救わない。一生懸命祈っても、大事なことのたった一つだって叶えてくれない。でもそんなの当然だ。神様なんて、辛く苦しく理不尽な現実に納得するために人間が苦し紛れで生み出した理由、装置なんだから。神様なんて信じてないけど「神様」には私を苦しめる権利がある。な〜〜〜〜〜にが神じゃ!!バーカ!!死ね!!と思ってたところに、ノエル・ギャラガーが作ったマスタープランのあの詩ですよ。見た目もやることも完全にやばい不良のにいちゃんなのに、なんかめちゃくちゃ柔らかいところも、虚勢に見えるけど実際はマジの自信も、当然送られるにふさわしいはずなのにまだ未配達になっている賞賛を早く寄越せ!と欲する気持ちも、全部むき出しにしてぶん殴ってくるこの人は一体なんなんだ?と思った。

 

オアシスの曲では苛烈な自己肯定が歌われる。「世界の全てが理解せずとも俺は俺だし、俺は最高だし、俺は認められるに値する存在だ」という強い思いがどんな曲にも通奏低音、というか言葉にして歌われる。ここまで強く自分を肯定するのって、逆に自信が全くないからなんじゃない?負の感情の裏返しなんじゃない?と思うくらいバキバキに「俺は俺を生きていていいし俺は最高の存在だ」と主張する。何か途方もなくでかい諦めを経験してないと、深く深く傷つけられていないと、途方も無いほど自尊心をへし折られていないと、ここまでの苛烈さにはならないと思った。

曲を聞きながらwikiやらネット上のいろんな記事やら色々を漁るうちに、なんかものすごく大変な幼少期をおくっていることがわかった。だからどうって言う気はないけれど、その経験がこの人の心の中に、「荒れてぐちゃぐちゃで鍵がかかっているから誰も入ってこれない部屋」を作り出したんだろうなと思った。この人はその部屋の中で「だけど俺にだって幸せになる権利がある」と主張し続けてたんだなあと思った。

私はノエルのことを兄と読んでいるのでここでも兄と呼びますが、兄は何かのインタビューで「俺は誰もしたことのないような経験をした」と言っていた。「誰にだって幸せになる権利がある」とも言っていた。こう思えるのってすごいことだ。自分の命とか生の価値がめちゃくちゃにされた時に、それでも幸せになることを選ぶのはものすごく難しい。私ならもう秒でこの世から飛ぶ方を選ぶ。それなのに兄はMaybe I just wanna fly. Wanna live I don't wanna die. Maybe I just wanna breath.とかいう歌詞を書く。なんなんだ?この人はまじでなんなんだ???

あと口が悪すぎる。素行も悪い。弟と殴り合う。あとすぐにどっかにいなくなる。しかも、そんなんなのに兄の書く詩にはマチズモの匂いがない。何故…………ちなみに歌詞はラリってる時に書いているから意味なんて無いし覚えてもいないらしい。その状態で自己肯定の塊を産むって、ちょっと意味がわからなくない?どれほど強く願っているんだ?

昔、私の好きな映画批評ラジオでデッドプールというアメコミ映画の批評をしていた。その際、デッドプールの荒唐無稽で止まらない軽口を「絶望に覆われない為の切実な生きる術であり、つらい現実を笑いのめす為である」と解説していた。不良のあり方とはそういうものである。

この世を生き抜くことって、感情が理路整然とした道を辿るのでは無いんだろうなあと思った。嘘と本当と本音と、それがごちゃごちゃに混ざっている中にだけ本当のことがあって、オアシスを聞いた私は兄のそれを見てしまったんだなあみたいなヤバい狂った気持ちになった。私の頭には『理解』の二文字が浮かんだ。オタクはすぐ、しかも勝手に『理解』する。この『理解』をした瞬間、私は兄に落ちていた。

 

兄がいるんだから当然弟がいる。こっちだって語らなきゃいけない。言わずと知れたリアム・ギャラガーである。オアシスを知って最初に目を奪われたのはリアムだ。普通のジャージにチェックのジャケットを着て、薄い色のついたサングラスをして煙草を吸って、酒を片手にステージのど真ん中で突っ立って観客を見下ろしている。それだけなのに、これまでの世界がぶち壊れるほど、もう死ぬほどかっこよかった。

 

 

この通りです。神はいないって言った口でりあむをキリストと呼んでいます。

 

兄が作った歌を弟が歌う。兄が作った自己肯定の塊みたいな凄まじくいい曲を、奇跡みたいな声をしている弟が歌う。なんならちょっと諦めに満ちすぎている歌でも、リアムが歌うとその瞬間に希望の歌に聞こえる。すごくない?この人なんなんだ???彼らは私を、世界を征服してしまった。もうダメだった。オアシスめちゃ好き、、、、てかギャラガー兄弟大好き、、、、リアムの不思議な斜視を見るたびにあー好き……あーダメだ好き…と呟いた。「自分で自分を信じなきゃ誰が自分を信じるんだよ」みたいなことも言っていた。兄弟なんだなあとしみじみ思った。好き……

ていうか、兄が作った歌を弟が歌う、ってのがやばかった。知れば知るほどリアムがお兄ちゃんっ子なのもやばかった。私は兄弟とか双子にびっくりするほど弱いので、バンドの曲だけじゃなくて兄弟が好きになった頃にはもう気が狂っていた。なんかもう、オタクの私にギャラガー兄弟は、致死率100%の猛毒のようにそれはもう効いた。さて、ここでさっき引用したマスタープランの歌詞を思い出してください。

Please brother let it be

兄がそんな意味を込めていないであろうことくらいわかってんだけど、brotherって、 brotherって、リアムのことじゃん〜〜!て思わずにいられないのだ。前後の歌詞もなんかちょっとソレっぽい感じだし、しかもこの部分は兄が歌っているのだ。これはそういう意味のbrotherじゃないことくらいわかるけど、わかるんだけどさ〜〜〜〜〜〜!!!

 

だけどこの兄弟は世界で一番仲の悪い兄弟なので、10年前に二人のケンカでバンドは解散し、今に至るまで口を聞いてない。残念。ハマったのが遅すぎたね。そう思っていたら弟はTwitterをやっていて、しょっちゅう兄のアカウントに食ってかかるし、誕生日は愛を込めて祝うし、自分のソロの楽曲では兄のことを歌うし、「たった一人の観客=兄のことを考えながらライブをしてる」「本当は寂しいのよ。兄弟だから」とか言われている。兄は兄でテレビとかラジオでニコニコしながら在りし日の弟(ここが結構ポイントだ。昔の弟の話ばっかりするの、なんでなんですか?昔は可愛かったのか?)の話をする。ど、どこが解散したバンドだ。解散したのにこんなに福利厚生がしっかりしているバンド、他に知らないよ……

 

兄が昔の弟みたいにタンバリンを戴いている写真を見たら耐えられなくなっちゃった。それで新しいアカウントができた。ROM専だったサイトに"なにか"を投稿するようになった。オアシスの周りのバンドを聞くようになった。blur大好きです。スミスとかザ・フーとか、名前だけ知ってて聞いてなかったバンドをたくさん聞くようになった。あと今リナサワヤマめっちゃ好きなんで、超いいんで、みんな聞いてください。それで今に至る。

あと私がミーハーなオタクだったせいで、そしてリアムがあまりにもかっこ良かったせいで、服装も変わった。私のすべてのTシャツのサイズがワンサイズ以上大きくなって、フレッドペリーのポロシャツを買い(これはBlurとかりばちんずの影響が大きいけど)、太いパンツをはくようになった。世の流行が90年代リバイバルで本当に良かった。ブリットポップファッションめちゃめちゃ可愛い。服装が中学生だった頃のオアシス、本当に好きです。あと極め付けに、りあむっぽい黄色いサングラスを作ってしまった。私は最強。

 

そんな感じで、2020年の私は激動の一年を過ごした。

変わらなかったことといえば、相変わらず精神がめちゃくちゃで、感情のない機械になれと言われ低賃金で肉体労働をしこき使われており、根暗なところだ。でも私はオアシスが大好きな根暗だ。最高で最強の根暗に決まっている。だいたい兄をみてください。兄だってあれは根暗の部類ですよ。(そこがすき〜〜!)それに、親友のことは世界で一番愛しているままだし、今まで好きだった音楽もずっと宝物のままだ。

 

そんな感じで私の2020年は終わる。今は辛いだけかもしれなくて、すぐto be or not to be......になってしまうけれど、それは今呼吸ができないから。息ができるようになりて〜〜と思えるようになりたい。永遠に生き続けたいとか思ってみたいよなあ!つまり私は兄が大好きなので、兄みたいになりたいということだ。兄みたいになりたいってめちゃくちゃ恥ずかしいな……

兄弟はその生き方とか姿勢とか、存在の確かさゆえに、ものすごく美しいと思う。そんな風になりたいってこと。私はまだ宇宙飛行士になりたいと思ってしまうんだけど、それは恥ずかしいことじゃないなって思うようになった。地に足をつけながら遠くに逃げて、地に足をつけながら見果てぬ夢を見て、美しく自由な世界への憧れを遠い遠い海岸線に投げかけたい。

 

チバユウスケがやっているバンド、the birthdayのBuddyという曲が好きなので、歌詞を引用して終わります。

 

変わらないでいるために変わる 当たり前じゃんかそんな事
お前にライトの輪がとんでいって
天使みたいに見えるぜ気のせいか

ロックンロールに溺れようぜ 朝から晩まで寝てる時でさえ
お前に涙は似合わないなんて言わないけど
下手クソな口笛を吹いてくれよ